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知力と心情

 「現代が受けている挑戦」には「精神的破滅の予想図」という見出しがあって、トインビーさんが興味あることを書いています。(P56より) 「現在の異常に速い技術の進歩が人間の心理の意識層と潜在意識の間の亀裂をしだいに拡げて今や警戒すべき段階に達している・・・・(中略)・・・・ 人間存在の不都合で苦痛な弱点の一つは、この意識層と潜在意識との亀裂によって人間が二つの違った世界に同時に住もうとするamphibiium(両棲類)でなければならないということである。 私たちの先祖が人間になって以来ずっと人間は心理の意識的な部分と潜在意識的な部分という二頭の馬を馭して行くことを強いられて来たので、この二頭の馬は、・・・・これを知力と心情と呼ぶことにして・・・・常に別々の方向に違った速度でつっ走ろうとして馭者につきない悩みと不安を与える。 いつも知力の方が心情よりも早く進む。しかしただ今までは人間の歴史の大部分においてこの速度の違いはまだ馭者の仕事を手に負えぬものにするには到らなかった。 というのは、最初知力が速度を増すまでに時間が掛かったからである。 ・・・・(中略)・・・・ それまで知力よりものろのろした相棒の心情は肩を並べて行くのにそれほど苦しまなかった。 ・・・・(中略)・・・・ 今日、この知力の相棒に耐え難い思いをさせているのは知力がもともとその相棒よりも早かったのに、最近はすでに優っている速度を増し、限界に達する気配も見せぬ勢いで刻々と加速しているからである。 これとは対象的に心情の速度は初めからゆっくりしたもので、これは自然の法則によって一定し、自然が決めた限度を越えることができないように見える。 ・・・・(中略)・・・・ その結果、心情と知力の速度の違いは加速度的に大きくなって行く。またそれにつれて高まって来る緊張は人間の精神を分解させかねない様相を今や呈しているのである。(現代が受けている挑戦P56) (iyo )これは先生の講話(「 堕落の結果・・・・心と体 」等に抜粋)を思い出します。 一方、「未来を生きる」にも、こんな文章が・・・・ 単刀直入に申しますと、私は、人生は精神的なものの探求であるべきだ、と信じています。私は、このことを、いささかのためらいも留保条件もなく、完全な確信をもって断言します。人間は肉体をもつ有機体でありますが、本来、精神的存在です。それ故