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民主主義

 民主主義をネット検索して見ると(Wikipediaより)] 人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理、政治運動、政治思想である。日本では民主制、民主政体などとも訳される。 民主主義という用語は古代ギリシャで「者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。・・・・ 以下、トインビーさんの著書より民主主義についての批評・・・・ 「現今では、民主主義といういう用語は、科学という用語と同様に、霊験あらたかな(カリスマチック)、または秘跡的な(サクラメンタル)用語であり、ともかくもお呪い的な用語である。 西洋化しつつある現代の我々の世界では、「デモクラシー」と「科学」とを信ぜず、したがってそれを実行しないといいきれるだけの自身のある社会はない。つまり、「非民主的」とか「非科学的」とか、あるいはもっと極端ないい方をすれば、「反民主的」とか「反科学的」だったと自認することは、文明というものの圏外にあったことを自認することになる。 デモクラシーと科学とに対する口先だけの忠誠を誓う共通的な傾向は、特筆にあたいする。」(歴史の教訓p132) テレビなど見ていても、「国民は納得していませんよ!」とか「これが民主主義と言えますか!」とかいった、「霊験あらたかな」特性を利用したいい方をよく聞きます・・・・本当のところ、国民の何パーセントが納得しているか調べたわけでもないでしょう。 しかし、理想的な民主政治と現実とはかなり違ったものです。 「直接的な民主政治が効果的に運営されうるための、積極的な条件は、投票者の大多数が政治的判断力を有していることであって、また政治的判断力には、知的能力とあわせて道徳的品性も必要とされる。民主政治がそうした判断力に依存するものであることは、直接的な民主政治のみならず、選出代表制民主政治にもあてはまる」(歴史の教訓p136) 「デモクラシーという政治的理念の基礎的条件の一つは、個人としての投票者が知的に賢明であるばかりでなく、道徳的に私心がないということである。つまり、どちらの道がいいかを弁別する能力があるだけではなく、たとえ自分の私的な利益に反すると思われるときでも、いいほうの道を希望し、そのほ...

国家主義と世界主義

「国家主義」をネット検索してみると、(Wikipediaより)・・・・ 国家主義とは、国家を「最高の価値あるもの」や「人間社会の最高の組織」と見なし、「個人よりも国家に絶対的な優位性があるのだ」とする考え方である。 あるいは「国家に至上の価値がある」と主張して、国家的な秩序や、国家による命令、自分の属する国家が軍事的に強いことなどを他の全ての価値に優先させようとする政治的な主張を指す。  国家主義的な立場をとる者、そのような思想を持つ者を「国家主義者」と言う。 一方ナショナリズムは、 国家という統一、独立した共同体を一般的には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語。 日本語では内容や解釈により国家主義、国民主義、国粋主義、国益主義、民族主義などとも訳されている。 パトリオティズムとは区別される(パトリオティズム:愛国心とか祖国愛) ここでは 国家主義=ナショナリズム として話を進めることにさせていただきます。 トインビーさんの国家主義に対する風あたりは非常に強く、著書の「現代が受けている挑戦」を読んでみると、その第六章(分裂感情の激化)の「国家主義の拡大」という見出しに続く文章は、以下のように始まっています。 「核時代において人類を自滅に導こうとしている国家主義は、・・・・」(現代が受けている挑戦p178) その後僅か6ページくらいですが、さらに悪化が進んだ経緯が書かれ、終わりのあたりでは、 「核時代において国家主義は死を望むことであり、そして現在は国家主義が優勢である。国家主義の解毒剤は世界主義であって、世界主義が表現を見出した二つの歴史的な制度が世界国家と世界宗教である・・・・」(同p184) (この本は、1964年の大学で行った講演がもとになっているとのこと) 世界国家と言っても、ここではローマ帝国やペルシアなど、世界の一部だった歴史上の世界国家ではなく、文字通り地球全体に拡がる国家・・・・トインビーさんの目指したもの・・・・になるでしょう。 「17世紀の最後の20~30年は西欧でキリスト教の後退が始まった時期だった。この退潮は私たちの時代になってからも続き、それが食い止められる兆しが見えてきたのは、第二次世界大戦が終わってからのことである。 しかしこのようにヨーロッパ人の心に対するキリスト教の勢力が弱まったことは、必然的にその心を非...