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高等宗教の独立

 原始時代の人間がその人間以前の先祖から受継いだ生活様式ははっきりと分離していず一つだった。その宗教生活は、社会生活全体の一部だった。この段階では生活の宗教的な面と世俗的な面は分離していないで、区別をつけることさえできなかった。人間のあらゆる活動が同時に、宗教的であり、政治的であり、経済的であり、芸術的だった。 (現代が受けている挑戦P259) ある宗教が高等なものであるとされるのは、人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在に直接触れさせようとするということによってである。 この2500年ほどの間に見られた高等宗教の出現は、先人類が人間になった原始時代の異変以来、現在に至るまでの人間の歴史における最も重要な、最も革命的な出来事である。 高等宗教が人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在に直接触れさせる限りでは、人間の魂を人間が属する社会への隷従から解放する。これまで社会はその成員に全面的な忠節を要求した。 高等宗教の出現で、個人は自分への人間の要求と神の要求が矛盾すると判断したら、どんな危険を冒してでも人間より神に従う自由を与えられた。 (現代が受けている挑戦P123) 諸高等宗教は人間を究極の霊的実在と直接に、個人的に接触させ、そうして人間が、偶然ある時、ある場所に生まれた結果巻き込まれることになった社会から、人間を精神的に独立させた。 高等宗教によって啓示を受け霊感を受けた人間は、一個の独立した社会を外側から見ることができ、社会自体よりも精神的により高度の視点から判断することができる。 それでこの精神的開放は個人に、社会を批判し、社会の命じることが彼が認めるに至ったより高い倫理基準に背くと判断した場合は、最後の手段としては身を挺してでもその命令に従わないという倫理的な義務を課した。 このような重大な選択に直面した場合は、倫理的に自由であるということは、人間同士よりはむしろ神に従うべく倫理的に強いられている、ということなのである。(現代が受けている挑戦P261) 全人類に対して使命を持つ「高等宗教」は、人類の歴史の舞台に比較的新しく登場したものである。それは未開社会に於いて知られていないばかりではなく、文明の過程にある社会の間でさえ、或る幾つかの文明が挫折して解体への道をかなり進むまで出現しないのである。これらの「高等宗教」が地上に出現するのは、文明の解体によ