神様のルーツ(ねたむ神ヤーウェ)

 歴史の研究の中でも「唯一のまことの神」ということを強調しておられるように、トインビーさんは多神教の信者ではないと思いますが、やがて「唯一のまことの神」となるヤーウェについて興味深い見方をしています。
(*完訳版では「ヤハウェー」、縮刷版では「ヤーウェ」となっているようです)

「『唯一のまことの神』の存在と性質が人類に顕示された神は、・・・・(中略)・・・・アカイメネス朝皇帝の支配に服していた、取るに足りない小民族ユダヤ人の神ヤハウェーであった。」/11-p270

「その選民が初めはアッシリア人の足下に踏みにじられ、その後、アカイメネス朝によって扶け起こされたヤハウェーは、ユダヤ教の神であるばかりでなく、キリスト教とイスラム教の神に発達した。」/11-p271

「アラビア西北部のある火山に住み、それを活動させる霊魔(jinn)として、はじめてイスラエル民族の視界に現れたという説が信ずべきものであるとすれば、その起源から言って、文字どおり『土地に帰属せしめられた』地方神である。
その点はともかくとしてかれは、紀元前十四世紀に、エジプト『新帝国』の領土であったパレスチナに侵入した蛮族戦闘団体の守護神として、エフライムおよびユダヤの山岳地帯にもちこまれたのちに、特定の地方の土と、特定の地方共同体の人びとの心のなかに根をおろした神である。
他方においてヤーウェはかれの崇拝者に対する第一のいましめとして、『あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない』出エジプト記20/3 と命ずる『ねたむ神』である。」2-p237

「驚くべきことは・・・・(中略)・・・・地方神であった神がより広大な世界に乗り出し、隣接地域の地方神と同じように、すべての人間の尊崇を得ようという大望を抱くようになってからも相変わらずヤーウェが、自分のほうから進んで争いをしかける競争相手の神々に対して、一向に不寛容の態度を改めようとしなかったことである。」2-237

アモン=ラーや、マルドゥク=ベルなど、「多くの競争者に比べて明らかに劣っているように思われる、野蛮で地方的なヤハウェー」 /11-p275 が、勝ち残ったのは何故か?

「・・・・われわれは上に、偏在性と唯一性という性質について論じた。
しかしこれらの神的性質は、確かに崇高なものではあるけれども、要するに人間の頭によって考え出された結論であるに過ぎず、人間の胸によって直接に感じられた体験ではない。
人間一般にとって、神の本質は、生きた人間が、他の生きた人間と結ぶ精神的関係と同じような関係を結ぶことのできる、生きた神であるという点にある。
この生きているという事実が、神と霊のまじわりを結ぶことを求める人間の魂にとって、神の性質のもっとも大切な点である。」2-p239

上記で、「胸によって直接に感じられた体験ではない」というところは、完訳版では「理知の結論にすぎず、人間の心の体験ではない」と訳されています。

「主は生きておられる」という言葉は、列王記などでは数えきれないくらい出てくる効果的な言葉です。

「神の属性の知的把握は、他のどの方法よりも生命と生命の直接の交わりから遠い神の知り方である」/11-p277  とも書かれています。
トインビーさんは、どのような方法で神様にアプローチしたのか気になります・・・・ものすごく頭の良い方なんでしょうが、知的な入口から入ったのでは無いのかも(?)

さらに、「相変わらず困難なことであろうが、すでに神との直接の交わりを結んでいる人間の魂が、その直観的宗教体験の生きた幹に知的認識の枝を接木して神性の理解を拡大する方が、明らかに困難が少ない」/11-p277  

この田舎っぺの神は、当時のアモン=ラーや、マルドゥク=ベルなどの立派な神々を打ち負かしたのち、ローマ帝国内部で行われた神々の戦いにおいても、ライバルのミトラやイシス、キュベレなどを打ち負かしてキリスト教の神になったとのこと。
その勝利の原因は、一言で言うと「ねたむ神」という排他性でした・・・・他の神々は安易な妥協精神を持っていました。

かつてはサウル王に対してこんなことも言っています。
さて、サムエルはサウルに言った、・・・・(中略)・・・・今、主の言葉を聞きなさい。万軍の主は、こう仰せられる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。 今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ』」。サムエル記 上 15/1

・・・・神様もやるときはやるんですね!
イスラエル民族が、エジプトからカナンの地に入るときにも、カナンの先住民に対して厳しい態度で臨んでいました。
理由の1つとして挙げられるのは、他の先住民との交流による悪習の影響を避けるためでしょうが、とりわけ偶像崇拝を極度に危険視していたことが感じられます。

さらに、この指示を守らなかったサウル王にも罰を与え、王様の位置を奪ってダビデに与えることになりました。

そして、畏れながら・・・・やっぱり神様は頭がいい!・・・・人間にとってどのような一言が必要かを熟知しておられる。

霊魔(jinn)として現れた神が、今では、キリスト教の愛の神・・・?
しかし、21世紀に入った今でも、私の知っている神様はやはり「ねたむ神」ですが、このねたむ心の裏には・・・・例えば「寂しがる」とか・・・・その他沢山の感情が込められている気がします。

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偶像崇拝

共産主義