ヤコブ路程・・・・引退と復帰
教会でよく使われる言葉に「ヤコブ路程」というのがあります。
創世記に登場するヤコブのことは *こちら* にも少し書きましたが、彼はイスラエル(勝利者)という名前を神様からいただいた人で、そのあゆみは典型的な勝利のパターンとのこと。
創世記に登場するヤコブのことは *こちら* にも少し書きましたが、彼はイスラエル(勝利者)という名前を神様からいただいた人で、そのあゆみは典型的な勝利のパターンとのこと。
ヤコブには双子の兄エソウがいました。
エソウが飢え疲れて野から帰って来た時、自分が持っていた長子の嗣業を、ヤコブが作った美味しそうな料理と引き換えに売ってしまいます。
食べ物と長子の嗣業を交換してしまうとは、エソウも軽はずみなことをしたものです。
(*長子の嗣業とは売れるものだったんですね?)
さらにその後もエソウはヤコブに父イサクの祝福まで奪われ、ヤコブを憎むようになり、父が亡くなる時にはヤコブを殺そうと決意します。 (創世記25章)
ヤコブはおとなしい人だと書かれていますが、そのやり方は狡賢で、むしろ悪いのはヤコブのほうに見えます。
それでも神様は彼に味方しました。
母のリベカもヤコブを助けて、叔父のラバンが住むハランの地へ逃がします。
その逃避行途中でヤコブはベテルの地で神に出会い、神様から「あなたの子孫を大繁栄させますからがんばってね!」と励まされます。
ちなみに、このベテルの神に出会う場面は、個人的には創世記の中でも最も神秘的に感じられる箇所です。
創世記31/36付近を見ると、ハランの地で過ごした21年間、ヤコブは非常に苦労したようです。
ある日ベテルの神が再び現れて、「あなたの故郷へ帰りなさい」とヤコブに指示しました。
ヤコブ自身も、故郷に帰りたいと思っていたようです。
ヤコブが戻ってくると聞いたエソウは、400人を率いて待ち構えていますが、ヤコブの様子を見ていて、結局抱いていた殺意は消えます。
「エソウは走ってきて迎え、彼を抱き、そのくびをかかえて口づけし、共に泣いた」創世記33/1
ヤコブがハランの地で生活している間、カナンの地にいる人たちは、「ヤコブは今どうしているだろう?」と考えたことでしょう。一線を退いて消えてしまったように見えたかもしれませんが、実は本人は大変な苦労をしていました。
そして逆境にもかかわらず様々なことを勝利的に解決したので、多くの家畜や部下たち、妻子も連れてカナンに戻ってきました。
ハランの地で成功しなかったら、カナンの地に戻ることはなかったでしょうが、戻ったとしてもエソウに殺されたかもしれません。
ヤコブが「イスラエル(勝利者)」という名前をもらうようになったこのいきさつは、トインビーさんの言う「引退と復帰のパターン」に似ているように思われます。
エソウに会う前の晩、天使と組打ちしましたが、ヤコブは負けませんでした。
それで「イスラエル(勝利者)」という名前をもらったわけですが、本番前リハーサルのようなもので、これによってヤコブは自信をもったことでしょう。
(・・・・カナンへの復帰後のことは、あまり書いてないようですが)
この「引退と復帰」のパターンを、トインビーさんは様々な人物の生涯のなかに見出しています。
引退期間は、非常に長いことも短いこともありますが、例として沢山の人物が挙がっています。
ここでは、パウロについて(・・・・使徒行伝やガラテヤ人への手紙に記述あり)
イエスに従うユダヤ人を迫害していたが、ダマスカスに向かう途中で強烈な光に出会い、「何故私を迫害するのか」との声を聴き、直ちにアラビア砂漠に入って行きました。その後3年間、トインビーさんの言によれば、
「キリスト教の新しい哲学的、感情的解釈を徹底的に考え、徹底的に感じ取った。そして、パウロ的キリスト教をローマ世界に布教するために彼の生まれながらの天才的能力が高められ、生涯の仕事に精神を集中して、この創造的引退から復帰した(/6-p72)」
ほかにも、聖ベネディクトス、グレゴリウス大教皇、仏陀、ダビデ、ソロン、カエサル、ムハンマッド、レーニン、トゥキュディデス、イブン・ハルドゥーン、孔子、カント、ダンテなど。
イエス様についても書かれていますが、この方は並みの方ではないので、引退と復帰のパターンが短期間に何度も繰り返されていると言います。
以下1~4はトインビーさんの解釈です。(1-p374 または /6-p68)
1.ヨハネから洗礼を受け、自己の使命を自覚すると、四十日間荒野に引きこもり、そこで悪魔の試みにあったのち、霊の力に満ち溢れて帰ってくる。そして「その言葉に権威があったので、かれらはその教えに驚いた」「それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである」
2.自分の伝える教えのために死をまぬがれがたいことを悟るとき、イエスはふたたび「離れた高い山」にひきこもり、そこで変貌を経験したのち、死を観念し、決意して復帰する。
3.十字架上の死において、死すべき人間の死を甘受し、墓におりてゆくが、復活において不死のものとしてそこから立ち上がる。
4.昇天において、栄光と共に再臨し、生けるものと死せるものとをさばき、限りなき王国を築くために地上から天国に引き上げる。
モーセについても記述があります・・・・ミデヤン荒野への逃避やシナイ山での変貌など。
考えてみれば、安倍首相も引退して復帰し、長期政権を実現したように見えます。
世の中の言葉でも、帰ってくるということに特別な意味を持たせることがあります。
例えば、「帰ってきたウルトラマン」とか「帰ってきた用心棒」・・・・これらの「帰ってきた」には、パワーアップされたという意味があるようです。
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