「歴史の研究」の予備知識

 「歴史の研究」の内容はとても広範囲ですが、主にこのサイトに必要と思われる説明を書いてみました。
(*注意.ここはシロウトの作文なので、正確でない部分もあると思いますが、ご容赦ください。)

トインビーさんは文明の興亡盛衰を中心に歴史を研究されました。

一つの文明は発生してから、成長、衰退、解体の過程を経て消滅しますが、自身が消滅する前に次の文明を宿している場合があります・・・・文明の親子関係です。

例えば、西欧地域に起こった文明を見ると、
(第一世代)紀元前3000年以前にミノス文明が発生(エーゲ諸島で繁栄)
(第二世代)前1100年頃にヘレニック文明が発生(ギリシア・ローマ時代)
(第三世代)紀元700年頃に西欧文明

第一世代は古くて情報不足なので、第二世代から第三世代への移行部分を例にしますと、
文明は成長が停止して、衰退しはじめると、その進行を食い止めるために、世界国家を形成します。
上記の場合はローマ帝国です。
なぜ世界国家というか・・・・その当時も、ローマ、マケドニア、カルタゴとか、複数の国に分れていましたが、これらを統一したものになるからです。
日本でも、越後とか甲斐とか備前、備後などの国があり、徳川家康が天下統一して世界国家がつくられました(厳密には豊臣秀吉が天下統一)

*むかしむかし!・・・・中学校時代の世界史の授業では、ローマ帝国の最盛期を、五賢帝時代・・・・五人の賢い皇帝が帝国を治めた時代(西暦1~2世紀)・・・・と教わりましたが、この時期はトインビーさんの見方では衰退期です(あくまでも文明中心の見方として・・・・帝国の最盛期はこれでいいのかもしれませんが。)
五賢帝時代どころか、ローマ帝国の建国自体が、この文明の衰退を食い止めるために起きた出来事となります。

世界国家についてはこちらにも。

ただし、諺にもあるごとく「ローマは一日にしてならず」です・・・・世界国家が出来上がる前には、通常「動乱時代」と呼ばれる期間(BC.431~AD.31)があります。
日本で言うなら名前の通り「戦国時代」が該当しますが、それだけでなく室町、鎌倉時代をも含んでいるようです。日本の動乱時代は1185年~1597年とされていますので、その期間は寧ろ世界国家より長くなっています。
中国の場合(シナ文明)でも秦+漢の世界国家の期間よりも動乱時代は長く、BC.634~AD.221となっています。春秋戦国と呼ばれている頃ですね。

衰退期のローマ帝国内には宗教(世界教会:この場合はキリスト教)が広まって、クリスチャン達は初めは迫害を受けましたが、やがては公認され、さらに国教となります。
もちろん、初めのうちはキリスト教だけでなく競争相手がいます。ローマの場合はほかに、ミトラ教、マニ教やローマ固有のユピテル(英語読みするとジュピター)など。

やがてローマ帝国は滅びますが、その内部に宿ったキリスト教は滅びず、次の文明(西欧文明)を発生させる「さなぎ」の役割をします。

*.ちなみに中国を例にとると、
 親文明:秦+漢(シナ文明)、子文明:元+清(極東文明)、宗教:大乗仏教
 (日本は、極東文明の日本分派となっています)

ただし、現代の状況では西欧文明は全世界に拡がって、他の文明を呑み込んでいますし、神様とキリスト教を捨てる方向に進んでいるとのこと・・・・これをどう解釈するかも別に書かれています(「西欧文明の前途」など)

*例外も沢山あります。
発育停止文明とか流産した文明もあります。
また、子文明は必ず一人っ子ではなく、複数のこともあります。
例えば、上記ミノス文明は、ヘレニック文明だけでなく、シリア文明の親でもあるようです(親子関係はやや薄い)
さらに、ヘレニック文明は、西欧文明の親ですが、正教キリスト教文明の親でもあります。

このようにして発生した文明の数は21になります(トインビーさんの場合)

また、文明を創造し、成長させて行く時期の指導的な人たちを「創造的少数者」と呼びます。
この時期には創造的少数者は大衆を感化するだけの魅力を持っています・・・・国内だけでなく、周辺の民族までも引き込むような魅力。
その後、指導者が創造能力を失って文明の成長が止まるようになると、従ってきた大衆(多数者)も魅力を感じなくなり、指導者側も力づくで従わせるようになります。この時期の指導者グループを「支配的少数者」と呼びます。
指導者を個別に見れば、1つの時代に創造的、支配的両方の人が混在するでしょうが、それほど細かに区別する必要はなく、発生・成長段階の呼称が創造的少数者、衰退・解体段階が支配的少数者というくらいでいいと思います。

文明の解体に伴って、その要素は世界国家の中で大きく3つに分裂します。
「支配的少数者」、「内的プロレタリアート」、「外的プロレタリアート」です。
ここで「プロレタリアート」とは、その社会の中にあるが、何らかの意味でそれには属さない社会的要素・・・・要するに住んではいても人間扱いされていないような。(カール・マルクスが言っている意味とは違います)
例えば、ヘレニック文明ではローマ帝国が世界国家ですが、キリスト教徒は内的プロレタリアートに属し、外的プロレタリアートは国家周辺の蛮族です。

やがて周辺蛮族はローマ帝国に押し寄せてきて滅ぼしてしまいます。
中学校時代に覚えたこと・・・・「みなゴロゴロと大移動」・・・・西暦375年、ゲルマン民族が大移動してきて、ローマ帝国を滅ぼします。
それまでの過去の歴史家たちは、蛮族が大きなことを成し遂げたと解釈していたようですが、トインビーさんは違った意見です。
この時、ローマ帝国内は既に滅んでいたも同然の状態で、蛮族は死骸に群がるハエのようなもの!
蛮族の行いは派手に見えるが、実は大したことではなかった!
それに対して重要な役割をしたのは、内的プロレタリアートです・・・・次の文明を誕生させました。

ここで、より大きな疑問が湧きました。
宗教は、単に「さなぎ」の役割以上のものではないか?
文明の興亡のために宗教がその役割をになったのか、それとも、宗教の成長のために文明が興亡したのか。
キリスト教の歴史を見ると、旧約聖書時代のアブラハムなど実際には事実確認の難しい内容もありますが、その後、時代が変化し様々な迫害を受けた中でも、確実に発展を重ねてきました。
・・・・宗教の発展のために、文明の興亡があった・・・・というのが結論となりました。

では最終的に目指す世界とは?・・・・これを「神の国」と呼んで、人間だけでなく「唯一のまことの神」と一緒に暮らす世界を主張しています。

(歴史に関心のある人は、別の観点があるでしょうが、宗教に関心のあるものとしては、この辺を重要ポイントと捉えました。)

注.ここで「衰退」と呼んでいる原語は「breakdown」となっています。普通は「崩壊」という意味で使われるとのこと。また、縮刷版では「衰退」ですが、完訳版では「挫折」と訳されています。縮刷版の編者の付け加えている「編者補注」によると、成長期の終止という意味で使用しているとのことなので、「挫折」の方が意味は近いのかもしれません。
*ちなみに「解体」のほうは縮刷、完訳ともに一致しています(原語は disintegration)

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