一神教の発生 ユダヤ教の成長・深化
「一神教はどのように発生しましたか?」とAI に訊いてみると、以下の回答でした。
概要
一神教の発生は、人類の歴史において長い時間をかけて進んだ宗教的な進化のプロセスです。最初から完全な一神教(唯一の神のみが存在すると信じる宗教)が誕生したわけではなく、多神教から段階的に移行したと考えられています。一神教がどのように発生したのか、その主な経緯を3つの段階に分けて解説します。
1. 多神教から「拝一神教」への移行
古代の人々は最初、自然のあらゆるものに神が宿ると考える多神教(ポリテイズム)を信仰していました。しかし、社会が発展し国家や王権が誕生すると、神々の間にも階層(ランク)が生まれました。その結果、多くの神を認めつつも、「自分たちの部族・国家が崇拝する最高神は一つだけである」とする拝一神教(モノラトリ)や交替一神教(ヘノテイズム)という形態が生まれました。これが一神教の原型です。
2. 歴史上最初の一神教的試み(古代エジプト)
歴史上、最初の一神教的な改革として有名なのが、紀元前14世紀の古代エジプトの新王国時代です。ファラオ(王)のアメンホテプ4世(アクエンアテン)は、従来の多くの神々の崇拝を禁止し、太陽神「アトン」だけを唯一の神とする大胆な宗教改革を行いました。しかし、この改革は彼の死後に激しい反発に遭い、すぐに元の多神教に戻ってしまいました。
3. ユダヤ教の成立と一神教の確立(決定的瞬間)
現在の一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「アブラハムの宗教」)の直接のルーツとなったのは、古代イスラエル人(ユダヤ人)の歴史です。その確立には、激しい民族の苦難が背景にありました。
民族の危機(バビロン捕囚): 紀元前6世紀、ユダヤ人の国家(南ユダ王国)が新バビロニアに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに連行されました(バビロン捕囚)。
思想の転換: 従来の多神教的な考え方では「国が滅びたのは、自分たちの神が敵の神に負けたからだ」となります。しかしユダヤ人の預言者たちは、「世界の支配者は自分たちの神(ヤハウェ)だけであり、国が滅びたのは自分たちが神との契約を破ったための試練(罰)である」と解釈しました。
唯一神の誕生: この極限状態の中で、「他国の神々は偽物であり、ヤハウェこそが宇宙全体を支配する唯一絶対の神である」という、排他的で純粋な一神教(ユダヤ教)が確立されました。
ここまで殆ど瞬間的と言ってもいいくらいの時間で回答を表示してくれます。最近、AIが人類を支配するとか恐れられるようになってきたのも納得です。
私が期待していたのは上記3ですが、見事に解答してくれました。
ここからは、トインビーさんの「歴史の研究」から、ユダヤ教の深化についての経過です。
(以下、単に「八世紀」と書かれている部分がありますが、紀元前のことです。)
「トーラの八世紀の預言者たちの書よりも古い部分に示されているヤハウェは、ありふれた型の民族的軍神である。彼はへブライ系の三つの共同体・・・・イスラエル、ユダ、エドム・・・・の地方的な神である。
彼に相当するものとして、モアブのケモシ、アンモンのミルコム、アテナイのアテーナ・ポリウーコス(都市守護者)、スパルタのアターナ・カルキオイコスがあり、・・・・(中略)・・・・
ヤハウェの起源ははっきりしない。彼が元来農耕豊饒の神でなかったことは明らかである。ヤハウェは、ミディアン人、ケニ人、その他の北アラビア砂漠の遊牧民の鍛冶の神であったのかもしれない。彼の記録された歴史は、彼がイスラエルの政治の神になる時に始まる。」/23-p910
*トーラ(トーラー)・・・・モーセ五書
「カナーンに侵入したヘブライ人は、武力によってその地に住みつかねばならなかった。そして彼らにとってヤハウェの最高の価値はその武力にあったのである。「主はいくさびと」(出エジプト15/3)、「強く勇ましい主、戦いに勇ましい主」(詩編24/8)、「わが岩なる主はほむべきかな。主は、いくさすることをわが手に教え、戦うことをわが指に教えられます」(詩編144/1)
しかしヤハウェのこの力は両刃の剣であった。信者が彼の不興を買わない時には確実に軍事的勝利を与えたが、反抗的な行為に対しては報復的な罰を加えたのである。・・・・(中略)・・・・彼はむら気で気まぐれで衝動的である。」/23-p911
(iyo )この時点でのヤハウェは「愛なる神」とか「親なる神」などとはほど遠いですね!
その後、イスラエル王国は南北に分裂し、北のイスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、南のユダも新バビロニアによってバビロン捕囚という目に会うわけですが、この頃の預言者たちはとても頑張っていて、イスラエル民族に対して、非常に教育的な役割を果たしていたようです・・・・
「イスラエルとユダヤの圧制者たちが悔いて彼らのやり方を改めないならば、ヤハウェは、共同体全体を捲き込む処罰をもってその不正に復讐すると預言者たちは預言した。当時このような予言に耳をかす者はなかった。
その後の災厄・・・・国家の消滅と、圧制者であった貴族の強制移住・・・・は八世紀の預言を想起させ、良心の呵責に苦しむ流民とその子孫の記憶に、この預言を消し難く刻み込んだのである。
バビロン幽囚の時以後、ユダヤ教徒の考えるヤハウェは、気まぐれに支配される全能の暴君ではなくて、正義をおこなう全能の存在になったのである。」/23-p913
(iyo )バビロン捕囚などの不幸な出来事は宗教の深まりには大きなプラスとなったのでしょうが、預言者の努力無くしては、ユダヤ教が一神教になることはなかったかも!
「罪悪意識の目覚めは、エジプト社会の動乱時代における、死後の生活についてのエジプト的な思想の発達のうちにも見いだされるが、しかしなんと言っても典型的な例は、シリア社会の動乱時代におけるイスラエルとユダの預言者たちの精神的経験である。これらの預言者が真理を発見し、神の意志を伝えていたころは、かれらがその中から出現し、その成員に向かって呼びかけた社会は、アッシリアの虎につかまり、どうにもならない悲惨な状態に置かれていた。その社会体がこのようなひどい苦境に置かれていた魂が、彼らの不幸は不可抗な外部の物的力のせいであるという、だれでもすぐに考えつきそうな説明を斥けて、表面的にはどう見えようと、かれらの苦難をひき起こした原因は彼ら自身の罪であること、したがって、真の解放をかち得る手段は彼ら自身の手の中にあるのだ、ということを見抜いたことは、まことに英雄的な精神的偉業であった。」/10-p257
(iyo )当時は多神教の時代で、ユダヤ人の祖先であるヘブライ人も、周囲の地域と同じように多様な神々(バアルやアシェラなど)を認めていました。
「それぞれの神が地方的共同体の集団的な人間力を象徴している政治的な神々の世界では、神々の運命はそれぞれの地方の崇拝者の運命と結びついていた。イスラエルとアッシリアの戦争は、同時にまたヤハウェ神とアッシュール神との戦争でもあった。
アッシリアがイスラエルを滅ぼした時、その論理的な帰結として、この人間の戦争の勝敗はアッシュールがヤハウェを破ったことを意味した。
このことから引出される結論は、敗れた神をこれまで崇拝していた者たちは、先祖伝来の神に対する崇拝を全く捨てるか、或いはそれほどではないにしても、勝った神が大権を行使している万神殿の中の下級の一員として自分たちの神を崇拝し続けるかして、勝った神へ帰依を移すべきだということであった。
・・・・(中略)・・・・
これは、どんなことがあっても祖先伝来の神に対する崇拝を捨てることには堪えられなかったヤハウェ崇拝者たちにとって難問題であった。」/23-p915
(iyo )そこで、預言者たちの言っていたことを思い出したのかも知れません。
「自分の民族神が、実際に自分の国とその領土だけでなく、不幸にも自分の国が衝突した他国をも、その領域としていると考えるならば、他国による自国の敗北と屈辱は、自分の民族の神の力をそこなうものではなく、むしろその力は自分がこれまで想像していたよりも大きいことを示すものであろう。」/23-p916
(iyo )自分たちのおこないが悪いせいで、他国にいじめられたということは、ヤハウェは他国をも動かしたことになります。
「ヤハウェの力は崇拝者の国々の境界を越えるというこの新しい信念は、外敵によって加えられた政治的悲運の経験によって崇拝者にに押しつけられた。だが、この信念は配流の経験によって確認され強化された。
ユダヤ教徒にとってエルサレムの神殿は、規定されたヤハウェ崇拝の典礼を正しく執行することのできる世界唯一の聖所に最近なったばかりであったが、この神殿からどんなに遠いところへ配流されようと、彼らは依然としてヤハウェの前にいるのであった。」/23-p917
「強制移住の五十年が終わる頃には、第二イザヤは単一神教・・・・ヤハウェはイスラエルだけの帰依を要求しているという信仰・・・・から、一神教・・・・ヤハウェは唯一の真実な神であって、その王国は全人類を包含し宇宙そのものと同じ拡がりを持っているという信仰・・・・へ移っていた。」/23-p917
「紀元前八世紀に預言者たちは、慈悲と、さらにそれを超越する愛が、かれの属性であるとした。そしてその後千四百年間、ユダヤ教文学の集成に於てこの二つの性質は次第に強調され確信をもって宣言された。ヤハウェの性質に対するこのような考えは、彼を父や母のような存在であると考え、彼を「天にまします父」と呼ぶことによって表されている。この言葉は、紀元前二世紀の終わりに現れたパリサイ人によって作られた。」/23-p918
(iyo )神様はアルパとオメガが同じだと言われますし、ご自分でもそう言われていますが、それにしてもずいぶん変わったものですね。
これで「めでたしめでたし」としたいところですが、どうもそうは行っていないようです。
「この変容はもっと重大なもう一つの結果を生んだ。変化したユダヤ教徒の神観では、神はあまりにも偉大で正しく崇高で恵み深い存在になったので、この神を「選民」の民族神という伝統的な任務に限定することはもはや不可能になったのである。彼が宇宙の創造者であり主であるならば、彼のすべての被造物は彼の関心事でなければならない・・・・」/23-p920
(iyo )・・・・という問題が出てくるのですが、これはまた別の話ですね・・・・
ここで一つコメントしておきますと、ユダヤ教の深化にはバビロン捕囚と預言者が大きな影響を及ぼしたことは間違いないと思いますが、それだけが原因ではないようです。
「イスラエルとユダヤの原始的な宗教をユダヤ教に変えた原動力の主な源は、選民であるというユダヤ教徒の信仰が民族の不幸と配流という恐るべき衝撃をこうむった時にユダヤ教徒の心霊が受けた外傷であった。
この衝撃は数度にわたってユダヤ教徒に加えられた。紀元前六世紀の10年代にネブカドネザルによって、紀元前二世紀の30年代にアンティオコス四世によって、そして紀元66~70年と紀元132~135年のローマ・ユダヤ戦争に於てローマ人によって加えられた。」/23-p893
「ネブカドネザルが加えた衝撃についてみると、これはエゼキエル、第二イザヤ、そして最後にはエズラにも霊感を与えた。アンティオコス四世が加えた衝撃は、パリサイ人に霊感を与えた。次々と与えられるこのような刺戟のもとで、ユダヤ教は殆ど千年にわたって発展し続けた」/23-p894
(iyo )・・・・ということで、イエス様が生きた時代の後でもユダヤ教は「外傷」による変化があったようです。逆にキリスト教が発生したことによる影響は意外に小さかったとか。
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