子文明成立の過程

 「1952年になお生命を保っている文明を眺めると、いずれもその背景に世界教会があり、その世界教会を媒介として一代前の文明の子文明として成立したことが分かる。
西欧キリスト教文明と正教キリスト教文明は、キリスト教会を媒介としてヘレニック文明の子文明として成立した。
極東文明は大乗仏教を媒介としてシナ文明の子文明として成立し、ヒンズー文明はヒンズー教を媒介としてインド文明の、またイランならびにアラブ文明はイスラム教を媒介としてシリア文明の子文明として成立した。」2-p458

(iyo)西欧キリスト教文明とその親文明のヘレニック文明について考えてみると、ヘレニック文明の世界国家であるローマ帝国内で、キリスト教を媒介として子文明の西欧キリスト教文明が成長していったことになります。
トインビーさんは、子文明成立の過程を「受胎期」「妊娠期」「出産期」(縮刷版では「受胎期」「懐妊期」「分娩期」)としています。

ところで、世界国家とはどんな?・・・・こちらも参照・・・・もはや成長の余地はなく、余命を少しでも伸ばそうとあくせくしている状態です。
日本の世界国家である徳川幕府などは、家康君が非常にしっかりしていた(?)おかげ、また日本が島国だったこともあり、ローマにとってのカルタゴやマケドニアなどの強敵もいなかった(?)おかげで、かなり穏やかに事が進んだ方だと思います。
ローマ帝国の場合は、建国(帝政ローマ開始)と同時に疲れ切った状態でした。内乱も沢山起きています・・・・スパルタクスの乱とか。

その上、これまでは地方単位で動いていたものを、中央政府をつくって一気にまとめようと難しい仕事をするわけですから大変です。
トインビーさんが取りあげている見出しを拾ったでけでも、公用言語と公用文字、法律制度、暦法、度量衡、貨幣、官吏制度など、どれもこれも疲れる作業です。
「さんざんに破壊された社会の生き残った組織を世界国家の政治的わく組の中に吸収したところで、すでに死滅したものを復活させる役に立たないし、また残存したものがどんどん崩壊して行くのを防ぐ役にも立たない。そしてこの大きな、しかも絶えず拡大して行く社会的空白の脅威が政府にやむを得ずその本来の傾向に反する行動を取らせ、空虚をみたす間に合わせの制度を造らせる。」2-p348

「支配的少数者が少数者自身の生み出した状態から利益を得ることが比較的少ないということは、かれらの哲学もしくは空想宗教を上から下へ広めようとして、殆ど常に失敗する事実によって示される。
これに反して、内的プロレタリアートがいかに有効に世界国家の平和的雰囲気を利用して、下から上へ高等宗教を広め、ついに世界教会をうち立てるようになることが多いかということは、注目すべきものがある。」2-p353

(iyo )このブログの「世界国家は誰の為に」にも書きましたが、世界国家を建設した人たちが自分たちのために作り出した様々な組織や制度が、結果的にはなぜか世界教会のために最も役に立った例が沢山あります。

[受胎期]
子文明成立の過程の受胎期は、教会が世俗的環境の提供する機会をとらえる時に始まる。
その環境の特徴の一つは、成長期にはもとよりのこと、動乱時代に於いてさえなお、その社会に生気を与えていた制度や生活様式の多くが、世界国家の出現によって必然的に活動を停止させられるということである。
世界国家の目的は平穏を保つことにある。しかし、その結果として生まれる安堵感は、やがて間もなく欲求不満の意識によって相殺される。生命は一点に停止するだけでは自己を保つことができないからである。
このような情勢のもとで、生まれたばかりの教会は、停滞している世俗的社会に、もっとも切実に要求されているものを提供することによって勢力を増大する。
教会は人間のせきとめられていたエネルギーのために水路を開くことができる。2-p459
教会は国家が利用することも解放することもできないエネルギーを受け取って、それらのものに捌け口を与えることのできる新しい路線を創造する。/15-p31

[妊娠期(懐妊期)]
教会の創造的活動の領域が非常に拡大される。/15-p31
教会はそれ自身の新しい世界的な制度をたてるために、今や衰退しつつある世界国家の業績と経験を利用し、その無能と愚かさの悲喜劇的最終段階に於て世俗的帝国政権の公僕として才能をふるう機会を見出すことができなかった傑出した人々を、この目的のために引き入れる。(2-p460)/15-p31

(iyo )考えてみれば、こういうことは普通の会社などでも、よく起こりますね。
社長が交代して会社の体制も刷新されると、今までは埋もれて無視されていたような人が、突然頭角を表わしたり、逆に優れた実績をあげていた人が役に立たなくなったり(・・・・スケールはかなり違いますが!)

受胎期から妊娠期の過渡期は、洪水のような集団的改宗によって開始される。/15-p32
改宗の速度と規模は、この遺棄された遺産をめぐって教会と争う侵入蛮族によって、解体期の文明に加えられる圧力の程度に比例する。15-p32

死滅した文明の機構がついに社会的真空へと崩壊する時、足下に開いている深淵を横切る危険な航海に乗出す。/15-p39
(教会が借用して鍛え直した世俗制度の新しい形態は、衰退する世界国家が、その政治的具体化である瀕死の世俗文明とともに崩壊する社会的空白期を生き抜く能力がある。15-32)
エネルギーの潮流は転換し、教会と文明の役割は逆転する。/15-p39

[出産期(分娩期)]
教会と文明の役割は逆になり、それまで「受胎期」に旧文明から生命力を吸収し、「懐妊期」に空白期間の嵐の中を航行してきた教会が、こんどは自分の胎内にはらんだ新しい文明に生命力を分かち与えるようになる。
この創造的なエネルギーが、宗教の保護のもとに社会生活の文化面のみならず、経済や政治の面における世俗的な水路に流れ込む。2-p461

その流れ込んだ例を経済面、政治面から拾ってみると、
経済面:「西方カトリック教会というさなぎの中から長いあいだかかって新しい世俗的社会が出現してから、すでに数世紀たっていたが、なお西欧の技術の驚くべき巨大な機構が西方キリスト教修道院の副産物であることが歴然としていた。この巨大な物質的構築の心理的基礎は、肉体労働の義務と威厳に対する信念、『勤労即祈り』の信念であった。労働を卑しい奴隷の仕事としていたヘレニック社会の労働観からすれば、これは革命的な方向転換であるが、こういう新しい労働観が確立されたのは、それがベネディクト会則によって聖別されたからにほかならない。この基礎の上にベネディクト修道会が西欧社会の経済生活の農業下部構造を築き、その下部構造がシトー派修道会の、知的方向に向けられた活動によって建設された工業的上部構造の土台になった。・・・・。」2-p461
(iyo )回りくどい言い方ですが、簡単に言えば、労働を神聖視することによって、経済が発展し、現在も続いているということでしょう。

政治面:「われわれは、教皇制が、中世西欧キリスト教世界を鋳直して、それにキリスト教連邦という新しい政治形態を与えるのを見た。そしてこの新しいキリスト教連邦は、これまで対立的であった地方主義と世界主義(エキュメニカリズム)のいずれの特徴的欠陥からも苦しめられることなしに、二つの制度の恩恵を同時に人類に享受させる見込みがあった。・・・・・」/15-p42
(iyo )こちらも平たい言葉で言わしていただきますと、地方国家という単位を超えて教皇制という組織のもとに融和が進む方向性があって、新しく子として生まれる文明は、より高次元の理想的な社会を目指せたのです。
・・・・が、現実はカノッサの屈辱から始まった教皇と神聖ローマ皇帝との何世代にもわたる大喧嘩により挫折してしまいました。この点は、このブログの「ローマ教皇制の発展と没落」にも書きました。
こんなことにならなければ、蕩減ももう少し軽くて済んだろうに(ひとりごと!)

こうした考察の後に、トインビーさんは、文明のために宗教があったのではなく、宗教のために文明があったんではないかと話を展開してゆきます。





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共産主義