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一神教の発生 ユダヤ教の成長・深化

 「一神教はどのように発生しましたか?」とAI に訊いてみると、以下の回答でした。 概要         一神教の発生は、人類の歴史において長い時間をかけて進んだ宗教的な進化のプロセスです。最初から完全な一神教(唯一の神のみが存在すると信じる宗教)が誕生したわけではなく、多神教から段階的に移行したと考えられています。一神教がどのように発生したのか、その主な経緯を3つの段階に分けて解説します。 1. 多神教から「拝一神教」への移行 古代の人々は最初、自然のあらゆるものに神が宿ると考える多神教(ポリテイズム)を信仰していました。しかし、社会が発展し国家や王権が誕生すると、神々の間にも階層(ランク)が生まれました。その結果、多くの神を認めつつも、「自分たちの部族・国家が崇拝する最高神は一つだけである」とする拝一神教(モノラトリ)や交替一神教(ヘノテイズム)という形態が生まれました。これが一神教の原型です。 2. 歴史上最初の一神教的試み(古代エジプト) 歴史上、最初の一神教的な改革として有名なのが、紀元前14世紀の古代エジプトの新王国時代です。ファラオ(王)のアメンホテプ4世(アクエンアテン)は、従来の多くの神々の崇拝を禁止し、太陽神「アトン」だけを唯一の神とする大胆な宗教改革を行いました。しかし、この改革は彼の死後に激しい反発に遭い、すぐに元の多神教に戻ってしまいました。 3. ユダヤ教の成立と一神教の確立(決定的瞬間) 現在の一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「アブラハムの宗教」)の直接のルーツとなったのは、古代イスラエル人(ユダヤ人)の歴史です。その確立には、激しい民族の苦難が背景にありました。 民族の危機(バビロン捕囚): 紀元前6世紀、ユダヤ人の国家(南ユダ王国)が新バビロニアに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに連行されました(バビロン捕囚)。 思想の転換: 従来の多神教的な考え方では「国が滅びたのは、自分たちの神が敵の神に負けたからだ」となります。しかしユダヤ人の預言者たちは、「世界の支配者は自分たちの神(ヤハウェ)だけであり、国が滅びたのは自分たちが神との契約を破ったための試練(罰)である」と解釈しました。 唯一神の誕生: この極限状態の中で、「他国の神々は偽物であり、ヤハウェこそが宇宙全体を支...

支配者が国の宗教を決定する?

 この見出しをネット検索してみると、(AIの説明) 「支配者が国の宗教を決定する」という原則は、歴史的に「クウィウス・レギオ、エユス・レリギオ(Cuius regio, eius religio)」と呼ばれ、特に16世紀から17世紀のヨーロッパにおいて、国家の信仰の統一と政治支配を両立させる仕組みとのことでした。 ・・・・1555年のアウクスブルクの和議で成立しました。 ・・・・諸侯(領主)が自身の領土において「カトリック」か「ルター派」かを選択できる権利を認めました。 (以下省略) 現代から見ると、とても非常識な話ですが、本当にこういうことができるのか、そのためにはどんな代価が必要になるかを、カトリック・ルター派にかかわらず、イスラム教や仏教などについても調査しています。 はじめに、CG・ユング(心理学者)の言葉が引用されています。 「偉大な革新は決して上からは起こらない。それは常に下から起こる」/11-p115 「支配的少数者によって考え出される哲学と、内的プロレタリアートによって発見される宗教とが、信奉者獲得競争に於てぶつかり合う時、その争いの結果」は、「一般に勝利者であることが判明するのは、内的プロレタリアートの方であって、支配的少数者の方ではない」・・・・ということが多いようですが・・・・、 「しかしまだ、はたして支配的少数者はその精神的弱点を物理的な力の行使によって補い、不当ではあるがそれにもかかわらず効果的な政治的圧力に物を言わせて、哲学もしくは宗教を上から下へ、彼らの被支配者に強制することができるか、という問題が残されている。」/11-p115 (iyo )「内的プロレタリアート」、「支配的少数者」については こちら を参照。 以下の結論・・・・ 「歴史的事実を調べてみると、政治権力は精神生活に影響を与える力が全然ないわけではないが、この分野で作用しうるのは特殊な事情の組み合わせのもとに於てであり、しかも、その場合に於てすら、その作用範囲はごく狭い範囲に限られることが判明する。実際、政治的権力者が時折試みる、宗教の領域に於て政治的手段を利用して彼らの意志を通そうとする努力の歴史に於て、成功は例外的であり、失敗が通則である。」/11-p117 ではどんな時が例外なのか?・・・・例として、ローマ帝国建国時のことが書かれています。 「典型的な例は、...

古代ギリシア成長のための三度の試練(挑戦)

トインビーさんの分析によれば、古代ギリシア世界はその成長過程で三度の挑戦を受けています。 二度目までは効果的に応戦に成功しますが、三度目の応戦は失敗し、ヘレニック文明は挫折しました。 *ヘレニック文明:トインビーさんの分類定義した文明の1つ(大雑把に言えば、ギリシア・ローマ世界) [一度目] 古代ギリシア人は、BC2000年紀初頭(BC3000年とも言われる)、ギリシア本土に定住します。そして最初の挑戦・・・・ 「最も初期の挑戦はヘラスそのものの低地住民に対する高地住民の人間的挑戦であった。」/5-p285 「エーゲ地域に乏しい低地の平野は、それをめぐる荒涼たる高原地帯によって支配されるであろうか。平野の平和な農耕者は、山岳地帯の山賊と牧羊者に踏みにじられるのであろうか。」/5-p180 →応戦:「低地の人々は、高原地帯の侵略的隣人に対する支配権を確立することによって自営問題を解決した。そして、その勝利によってヘラスは村落の世界ではなくて、都市の世界、牧畜の世界ではなくて、農耕の世界、無政府の世界ではなくて、秩序の世界になることが決定された」/5-p180 *ヘラス:ギリシャ人がギリシャを指して呼ぶ名前 [二度目] 最初の挑戦を退けると、都市国家が生まれ、生活は安定しましたが、今度は「生産手段に対する人口の圧力」という挑戦が発生しました。 人口が増えてきて、食べ物の供給が間に合わなくなったわけです。 「低地において農業を平和に営むことが可能になったが、そのために人口が急速に増大・・・・(中略)・・・・エーゲ海世界では、農耕に適する平野は全面積のほんの小部分にすぎなくて、谷底の耕地から不毛の石灰岩の山岳が急にそびえ立っていたので、耕地と岩石地帯が接続していた。したがって耕地不足の限界には弾力性がなかった。」/5-p181 →応戦:解決策としていくつかの手段で対応 「・・・・応戦はあれやこれやの実験の形をとった。・・・・」 1.コリントやカルキスの方法・・・・「土着の住民が希薄であるか、あるいは侵入に対して抵抗することのできない海外のシチリア、南部イタリアその他の地域の領土を獲得し、それを農業植民地にする」/1-p38 2.スパルタの方法・・・・「もっとも近いギリシャ人の隣国を攻撃し、征服することによって市民の土地に対する欲望を満足させた。」/1-p39 3.アテナイの...

高等宗教の独立

 原始時代の人間がその人間以前の先祖から受継いだ生活様式ははっきりと分離していず一つだった。その宗教生活は、社会生活全体の一部だった。この段階では生活の宗教的な面と世俗的な面は分離していないで、区別をつけることさえできなかった。人間のあらゆる活動が同時に、宗教的であり、政治的であり、経済的であり、芸術的だった。 (現代が受けている挑戦P259) ある宗教が高等なものであるとされるのは、人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在に直接触れさせようとするということによってである。 この2500年ほどの間に見られた高等宗教の出現は、先人類が人間になった原始時代の異変以来、現在に至るまでの人間の歴史における最も重要な、最も革命的な出来事である。 高等宗教が人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在に直接触れさせる限りでは、人間の魂を人間が属する社会への隷従から解放する。これまで社会はその成員に全面的な忠節を要求した。 高等宗教の出現で、個人は自分への人間の要求と神の要求が矛盾すると判断したら、どんな危険を冒してでも人間より神に従う自由を与えられた。 (現代が受けている挑戦P123) 諸高等宗教は人間を究極の霊的実在と直接に、個人的に接触させ、そうして人間が、偶然ある時、ある場所に生まれた結果巻き込まれることになった社会から、人間を精神的に独立させた。 高等宗教によって啓示を受け霊感を受けた人間は、一個の独立した社会を外側から見ることができ、社会自体よりも精神的により高度の視点から判断することができる。 それでこの精神的開放は個人に、社会を批判し、社会の命じることが彼が認めるに至ったより高い倫理基準に背くと判断した場合は、最後の手段としては身を挺してでもその命令に従わないという倫理的な義務を課した。 このような重大な選択に直面した場合は、倫理的に自由であるということは、人間同士よりはむしろ神に従うべく倫理的に強いられている、ということなのである。(現代が受けている挑戦P261) 全人類に対して使命を持つ「高等宗教」は、人類の歴史の舞台に比較的新しく登場したものである。それは未開社会に於いて知られていないばかりではなく、文明の過程にある社会の間でさえ、或る幾つかの文明が挫折して解体への道をかなり進むまで出現しないのである。これらの「高等宗教」が地上に出現するのは、文明の...

「民主主義」という偶像崇拝

 「歴史の研究」に「産業主義が奴隷制度に与えた影響」 (2-464または/7-p215)という見出しがあり、さらに続いて「民主主義と産業主義が戦争に与えた影響」、「民主主義と産業主義が地方的主権に与えた影響」などの見出しがあります。(この部分の原書が発行されたのは1939年) 「過去二世紀間のうちに、産業主義と民主主義という、二つの新しい、動的な社会的力が活動しはじめたが、この二つの力の突き当たった古い制度の一つが、奴隷制度であった。」2-p464 この奴隷制度は放っておいても衰退に向かっていましたが、イギリスに起こった産業革命などによって、産業主義はこの奴隷制度の寿命を延ばす方向に働きました。 では民主主義は?・・・・産業主義とは反対方向に作用しました。 「もし産業主義の推進力が民主主義の推進力によって大部分打ち消されなかったとしたならば、西欧世界はあれほどたやすく、奴隷制度を取り除くことができなかったであろう」2-p466 では、戦争に対してはどうか?・・・・この場合、奴隷制度とは違って、二つの主義は同じ方向に作用して戦争を激化させました。 ところで、この新しい社会的力が出現する以前の戦争とはどのようなものだったのか? ・・・・奴隷制度と同じく、戦争も下り坂で、以前より穏やかなやり方で行われるようになっていたとのこと。 「産業主義と民主主義の出現前夜の西欧世界の状態を回顧するならば、十八世紀中葉に於て戦争は奴隷制度とほぼ同じ状態にあったことに気がつくであろう。すなわち戦争は明らかに衰えつつある古い社会悪であった。」/7-p222 一旦は宗教改革以後の宗教的熱狂によって駆り立てられ、激化しましたが、その後の合理主義、科学の発達等によって沈静化し、国王の「戦争ゲーム」のようなものに落ち着いてきました。 「18世紀にその前後の時代に比べて戦争の残虐さが少なかった根本の理由は、それが宗教的ファナティシズムの武器ではなくなり、しかもまだ民族主義的ファナティシズムの手段になっていなかったからである。」2-p469 *ファナティシズム・・・・熱狂、心酔、狂信 「十八世紀には戦争の害悪はその前にも後にも西欧社会の歴史の他のどの章に於ても近づいたことが決してない最小限にまで引き下げられたのであった。」/7-p223 この平和な「文明化した戦争」は18世紀末に終わり、民主主...

民主主義

 民主主義をネット検索して見ると(Wikipediaより)] 人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理、政治運動、政治思想である。日本では民主制、民主政体などとも訳される。 民主主義という用語は古代ギリシャで「者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。・・・・ 以下、トインビーさんの著書より民主主義についての批評・・・・ 「現今では、民主主義といういう用語は、科学という用語と同様に、霊験あらたかな(カリスマチック)、または秘跡的な(サクラメンタル)用語であり、ともかくもお呪い的な用語である。 西洋化しつつある現代の我々の世界では、「デモクラシー」と「科学」とを信ぜず、したがってそれを実行しないといいきれるだけの自身のある社会はない。つまり、「非民主的」とか「非科学的」とか、あるいはもっと極端ないい方をすれば、「反民主的」とか「反科学的」だったと自認することは、文明というものの圏外にあったことを自認することになる。 デモクラシーと科学とに対する口先だけの忠誠を誓う共通的な傾向は、特筆にあたいする。」(歴史の教訓p132) テレビなど見ていても、「国民は納得していませんよ!」とか「これが民主主義と言えますか!」とかいった、「霊験あらたかな」特性を利用したいい方をよく聞きます・・・・本当のところ、国民の何パーセントが納得しているか調べたわけでもないでしょう。 しかし、理想的な民主政治と現実とはかなり違ったものです。 「直接的な民主政治が効果的に運営されうるための、積極的な条件は、投票者の大多数が政治的判断力を有していることであって、また政治的判断力には、知的能力とあわせて道徳的品性も必要とされる。民主政治がそうした判断力に依存するものであることは、直接的な民主政治のみならず、選出代表制民主政治にもあてはまる」(歴史の教訓p136) 「デモクラシーという政治的理念の基礎的条件の一つは、個人としての投票者が知的に賢明であるばかりでなく、道徳的に私心がないということである。つまり、どちらの道がいいかを弁別する能力があるだけではなく、たとえ自分の私的な利益に反すると思われるときでも、いいほうの道を希望し、そのほ...

国家主義と世界主義

「国家主義」をネット検索してみると、(Wikipediaより)・・・・ 国家主義とは、国家を「最高の価値あるもの」や「人間社会の最高の組織」と見なし、「個人よりも国家に絶対的な優位性があるのだ」とする考え方である。 あるいは「国家に至上の価値がある」と主張して、国家的な秩序や、国家による命令、自分の属する国家が軍事的に強いことなどを他の全ての価値に優先させようとする政治的な主張を指す。  国家主義的な立場をとる者、そのような思想を持つ者を「国家主義者」と言う。 一方ナショナリズムは、 国家という統一、独立した共同体を一般的には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語。 日本語では内容や解釈により国家主義、国民主義、国粋主義、国益主義、民族主義などとも訳されている。 パトリオティズムとは区別される(パトリオティズム:愛国心とか祖国愛) ここでは 国家主義=ナショナリズム として話を進めることにさせていただきます。 トインビーさんの国家主義に対する風あたりは非常に強く、著書の「現代が受けている挑戦」を読んでみると、その第六章(分裂感情の激化)の「国家主義の拡大」という見出しに続く文章は、以下のように始まっています。 「核時代において人類を自滅に導こうとしている国家主義は、・・・・」(現代が受けている挑戦p178) その後僅か6ページくらいですが、さらに悪化が進んだ経緯が書かれ、終わりのあたりでは、 「核時代において国家主義は死を望むことであり、そして現在は国家主義が優勢である。国家主義の解毒剤は世界主義であって、世界主義が表現を見出した二つの歴史的な制度が世界国家と世界宗教である・・・・」(同p184) (この本は、1964年の大学で行った講演がもとになっているとのこと) 世界国家と言っても、ここではローマ帝国やペルシアなど、世界の一部だった歴史上の世界国家ではなく、文字通り地球全体に拡がる国家・・・・トインビーさんの目指したもの・・・・になるでしょう。 「17世紀の最後の20~30年は西欧でキリスト教の後退が始まった時期だった。この退潮は私たちの時代になってからも続き、それが食い止められる兆しが見えてきたのは、第二次世界大戦が終わってからのことである。 しかしこのようにヨーロッパ人の心に対するキリスト教の勢力が弱まったことは、必然的にその心を非...

知力と心情

 「現代が受けている挑戦」には「精神的破滅の予想図」という見出しがあって、トインビーさんが興味あることを書いています。(P56より) 「現在の異常に速い技術の進歩が人間の心理の意識層と潜在意識の間の亀裂をしだいに拡げて今や警戒すべき段階に達している・・・・(中略)・・・・ 人間存在の不都合で苦痛な弱点の一つは、この意識層と潜在意識との亀裂によって人間が二つの違った世界に同時に住もうとするamphibiium(両棲類)でなければならないということである。 私たちの先祖が人間になって以来ずっと人間は心理の意識的な部分と潜在意識的な部分という二頭の馬を馭して行くことを強いられて来たので、この二頭の馬は、・・・・これを知力と心情と呼ぶことにして・・・・常に別々の方向に違った速度でつっ走ろうとして馭者につきない悩みと不安を与える。 いつも知力の方が心情よりも早く進む。しかしただ今までは人間の歴史の大部分においてこの速度の違いはまだ馭者の仕事を手に負えぬものにするには到らなかった。 というのは、最初知力が速度を増すまでに時間が掛かったからである。 ・・・・(中略)・・・・ それまで知力よりものろのろした相棒の心情は肩を並べて行くのにそれほど苦しまなかった。 ・・・・(中略)・・・・ 今日、この知力の相棒に耐え難い思いをさせているのは知力がもともとその相棒よりも早かったのに、最近はすでに優っている速度を増し、限界に達する気配も見せぬ勢いで刻々と加速しているからである。 これとは対象的に心情の速度は初めからゆっくりしたもので、これは自然の法則によって一定し、自然が決めた限度を越えることができないように見える。 ・・・・(中略)・・・・ その結果、心情と知力の速度の違いは加速度的に大きくなって行く。またそれにつれて高まって来る緊張は人間の精神を分解させかねない様相を今や呈しているのである。(現代が受けている挑戦P56) (iyo )これは先生の講話(「 堕落の結果・・・・心と体 」等に抜粋)を思い出します。 一方、「未来を生きる」にも、こんな文章が・・・・ 単刀直入に申しますと、私は、人生は精神的なものの探求であるべきだ、と信じています。私は、このことを、いささかのためらいも留保条件もなく、完全な確信をもって断言します。人間は肉体をもつ有機体でありますが、本来、精神的存在です...

ヤコブ路程・・・・引退と復帰

 教会でよく使われる言葉に「ヤコブ路程」というのがあります。 創世記に登場するヤコブのことは  *こちら*  にも少し書きましたが、彼はイスラエル(勝利者)という名前を神様からいただいた人で、そのあゆみは典型的な勝利のパターンとのこと。 ヤコブには双子の兄エソウがいました。 エソウが飢え疲れて野から帰って来た時、自分が持っていた長子の嗣業を、ヤコブが作った美味しそうな料理と引き換えに売ってしまいます。 食べ物と長子の嗣業を交換してしまうとは、エソウも軽はずみなことをしたものです。 (*長子の嗣業とは売れるものだったんですね?) さらにその後もエソウはヤコブに父イサクの祝福まで奪われ、ヤコブを憎むようになり、父が亡くなる時にはヤコブを殺そうと決意します。  (創世記25章) ヤコブはおとなしい人だと書かれていますが、そのやり方は狡賢で、むしろ悪いのはヤコブのほうに見えます。 それでも神様は彼に味方しました。 母のリベカもヤコブを助けて、叔父のラバンが住むハランの地へ逃がします。 その逃避行途中でヤコブはベテルの地で神に出会い、神様から「あなたの子孫を大繁栄させますからがんばってね!」と励まされます。 ちなみに、このベテルの神に出会う場面は、個人的には創世記の中でも最も神秘的に感じられる箇所です。 創世記31/36付近を見ると、ハランの地で過ごした21年間、ヤコブは非常に苦労したようです。 ある日ベテルの神が再び現れて、「あなたの故郷へ帰りなさい」とヤコブに指示しました。 ヤコブ自身も、故郷に帰りたいと思っていたようです。 ヤコブが戻ってくると聞いたエソウは、400人を率いて待ち構えていますが、ヤコブの様子を見ていて、結局抱いていた殺意は消えます。 「エソウは走ってきて迎え、彼を抱き、そのくびをかかえて口づけし、共に泣いた」創世記33/1 ヤコブがハランの地で生活している間、カナンの地にいる人たちは、「ヤコブは今どうしているだろう?」と考えたことでしょう。一線を退いて消えてしまったように見えたかもしれませんが、実は本人は大変な苦労をしていました。 そして逆境にもかかわらず様々なことを勝利的に解決したので、多くの家畜や部下たち、妻子も連れてカナンに戻ってきました。 ハランの地で成功しなかったら、カナンの地に戻ることはなかったでしょうが、戻ったとしてもエソウに殺され...

子文明成立の過程

 「1952年になお生命を保っている文明を眺めると、いずれもその背景に世界教会があり、その世界教会を媒介として一代前の文明の子文明として成立したことが分かる。 西欧キリスト教文明と正教キリスト教文明は、キリスト教会を媒介としてヘレニック文明の子文明として成立した。 極東文明は大乗仏教を媒介としてシナ文明の子文明として成立し、ヒンズー文明はヒンズー教を媒介としてインド文明の、またイランならびにアラブ文明はイスラム教を媒介としてシリア文明の子文明として成立した。」2-p458 (iyo)西欧キリスト教文明とその親文明のヘレニック文明について考えてみると、ヘレニック文明の世界国家であるローマ帝国内で、キリスト教を媒介として子文明の西欧キリスト教文明が成長していったことになります。 トインビーさんは、子文明成立の過程を「受胎期」「妊娠期」「出産期」(縮刷版では「受胎期」「懐妊期」「分娩期」)としています。 ところで、世界国家とはどんな?・・・・ こちら も参照・・・・もはや成長の余地はなく、余命を少しでも伸ばそうとあくせくしている状態です。 日本の世界国家である徳川幕府などは、家康君が非常にしっかりしていた(?)おかげ、また日本が島国だったこともあり、ローマにとってのカルタゴやマケドニアなどの強敵もいなかった(?)おかげで、かなり穏やかに事が進んだ方だと思います。 ローマ帝国の場合は、建国(帝政ローマ開始)と同時に疲れ切った状態でした。内乱も沢山起きています・・・・スパルタクスの乱とか。 その上、これまでは地方単位で動いていたものを、中央政府をつくって一気にまとめようと難しい仕事をするわけですから大変です。 トインビーさんが取りあげている見出しを拾ったでけでも、公用言語と公用文字、法律制度、暦法、度量衡、貨幣、官吏制度など、どれもこれも疲れる作業です。 「さんざんに破壊された社会の生き残った組織を世界国家の政治的わく組の中に吸収したところで、すでに死滅したものを復活させる役に立たないし、また残存したものがどんどん崩壊して行くのを防ぐ役にも立たない。そしてこの大きな、しかも絶えず拡大して行く社会的空白の脅威が政府にやむを得ずその本来の傾向に反する行動を取らせ、空虚をみたす間に合わせの制度を造らせる。」2-p348 「支配的少数者が少数者自身の生み出した状態から利益を得...

世界国家は誰の為に

 「世界国家が意図せずして提供する奉仕はいかなるものか。」2-p347 「支配的少数者が少数者自身の生み出した状態から利益を得ることが比較的少ない・・・・(中略)・・・・これに反して、内的プロレタリアートがいかに有効に世界国家の平和的雰囲気を利用して、下から上へ高等宗教を広め、ついに世界教会をうち立てるようになることが多いかということは、注目すべきものがある。」2-p353 「ローマの平和の提供した機会は、いくつかの互いに争い合うプロレタリア宗教・・・・キュベレ崇拝とイシス崇拝、ミトラ教、およびキリスト教の利用する所となった。」2-p354 「しばしば世界国家の社会的・心理的風潮によって利益を受けてきた高等宗教の代表者たちは、ときおり、その恩恵を自覚し、それはかれらがその名のもとに教えを説いている「唯一のまことの神」のたまものと考える場合がある。 第二イザヤ書、エズラ書、およびネヘミア書の筆者の目から見れば、アカイメネス帝国はヤーウェの選んだユダヤ教弘布の手段であったし、レオ大教皇(在位440-61年)も同じようにローマ帝国を、キリスト教の普及を容易にするために神の摂理によって定められたものと考えた。」2-p354 「支配的少数者が創造し維持する世界国家によって、精神面においてもっとも大きな利益を受けるのは、高等宗教を創造する内的プロレタリアートであるが、政治面における利益は他の者の手に帰する。 ・・・・(中略)・・・・ それは、国境の外から侵入してくる連中であって、これらの侵入者は解体する文明社会の外的プロレタリアートの構成員か、異文明を代表する者か、どちらかである。・・・・(中略)・・・・ (近視的に見ればまことにめざましく見える。けれども、すでに前に述べた通り、滅びゆく世界国家の遺棄された領土に侵入する蛮族侵略者は、未来を持たない英雄である。・・・・(中略)・・・・教会の成し遂げる歴史的事業にくらべれば、見掛け倒しであり、期待はずれに終わる。」2-p359 (iyo)以上がおよその結論となりますが、完訳版には「帝国の諸制度の効用」として、交通手段、守備隊と駐屯地、州、首都、公用語と公用文字、法律、暦法・度量衡・貨幣、常備軍、文官制度、市民権などについて、個別の調査がなされています。 以下に一部その例を挙げますと、 [交通手段] (iyo 縮刷版では) ...

共産主義

トインビーさんが1956年に来日されたとき、国際キリスト教大学、東京大学で「精神的課題としてのイデオロギー戦争」というタイトルで講演されていますが、その内容が「歴史の教訓」(松本重治編訳)にあります。 当時は共産主義の問題に触れないわけにはいかない冷戦時代で、二つの勢力をここでは「西方陣営」、「共産陣営」と呼んでいます。 西方陣営と共産陣営の係争点は何かという問題に対して・・・・ 「名目的には、その係争点は経済的のものである。すなわち、自由な私企業の長所か、経済生活の国家による統制規制の長所かという問題である。しかしながら、この係争点は、現実と一致しない講壇理論にすぎない。 ・・・・(中略)・・・・ それでは、共産陣営と西欧陣営とのあいだの本当の係争点はなんであろうか。 それは政治的な問題であり、また道徳的ならびに精神的な問題である。すなわち個人としての人間の人格的な自由と、共同社会に対する個人の従属の問題である。 ・・・・(中略)・・・・ 経済上の係争点とは違って、それが妥協することによって処理することのできるようなたんなる分量上の問題ではないことがわかる。この場合には、原理上の問題があらわれている。 すなわち、個人としての人間がそれ自体において目的であるのだろうか。あるいは、蜜蜂が蜂の巣のための手段であり、蟻が蟻塚のための方便であるのと同様に、個人としての人間は共同社会のための一手段に過ぎないのだろうかという問題である。 これは宗教上の問題であって、経済上の問題ではない。」(P182) 「共産主義者は、共産主義が宗教であることを否認している。 かれらは、自分たちがいかなる種類の宗教もいっさい追放してしまったと主張し、共産主義が宗教に基礎をおくものでなくて科学に基礎をおくものであると主張し、そしてこのことから、その他の諸点と同様に、共産主義が、人間の歴史における新しい出発なのだと主張している。 しかし、本当は、共産主義は、たしかに宗教であり、正真正銘の宗教であり、しかも新しく見えるイデオロギー的よそおいにもかかわらず、むかしながらの宗教である。 共産主義は、ナショナリズムと同様に、集団的な人間の権力を崇拝する一つの現象である。」(P185) 「この人間集団たる社会はトーマス・ホッブスが「リヴァイアサン」と渾名したものである。 ・・・・(中略)・・・・ かれらは、リ...

偶像崇拝

 「偶像崇拝」は「歴史の研究」の中に頻繁に出てくる言葉です。 トインビーさんは宗教に深い理解のあるかたですが、偶像崇拝を以下のように定義しています。 「偶像崇拝は、全体ではなく部分、創造主ではなく被造物、永遠ではなくて時間に対する、知的ならびに道徳的に半ば盲目的な崇拝であると定義することができよう。」/8-p31 さらに続けて、 「そして人間の精神の最高の能力をこのように濫用し、その最も強力な精力を誤った方向に向けることは、偶像化の対象に致命的な影響を及ぼす。 それは神の『口にしがたいほど崇高な作品』の一つを『立ってはならぬ所に立っている荒らす憎むべきもの』に変えるという、よこしまで不幸な奇蹟を行う。」/8-p31 このように定義されてしまうと、現代人は殆どが偶像崇拝に陥っていると言えるでしょう。 実際、「偶像崇拝のはびこるジャングル」と呼んでいる箇所もあります。 また、次のようにも・・・・ 「人間が集団的自己を崇拝することは偶像崇拝である」/15-p93  そして現代文明が高等宗教から離れつつあることを心配しています。 「高等宗教が世界に対するその支配力を失いつつあった世界に於いて、1952年には『イデオロギー』のなかに失われた高等宗教の身代わりを見出していた多くの人びとがいた。 そして幾つかの国では、この新しい世俗的信仰への改宗者が非常に勢力を得て政府の支配権を奪取し、国家の全権力を使って自分たちの教義と慣行を同胞に強制した。 こうした方法によって共産主義はロシアに、ファシズムはイタリアに、国家社会主義はドイツに打ち建てられた。 しかし、集団の力という甲冑を着けた自己に対する人間の昔からの崇拝の復活のこの甚だしい実例は、この精神的病幣の実際の普及の程度を示すものではなかった。 その最も重大な徴候は、その市民が自分たちは他の人々、もしくはこのファシストや共産主義者とさえ違っていると言って自ら悦に入っている、民主的であり、キリスト教的であると公言している国々において、人口の六分の五の宗教の五分の四は、蜂による蜂の巣の、そして蟻による蟻塚の崇拝という原始的異教信仰であったことである。 この復活した偶像崇拝は愛国心という美名のもとに隠されることによって救われなかった。 そして実にこの一般に知られていない偶像崇拝の影響力は、・・・・(中略)・・・・率直な形の偶像崇...

ローマ教皇制の発展と没落

 世界史の授業などで、カノッサの屈辱と言えば、教皇が国王に対して優位に立った記念碑的な出来事として教えられましたが、その後教皇と国王(特に神聖ローマ帝国)との戦いは大変なもので、後世にも多大な影響を与えていたようです・・・・まさに人類歴史が大きく変わったできごと! 教皇制の成長も没落も劇的(?)で、トインビーさんは「自己決定能力の喪失」の中で「勝利の陶酔」の見本としてかなり詳しく取りあげています。 「勝利の陶酔の破滅的な結果のすべての実例の恐らく最も顕著な実例は、教皇制の長い、そして今なお生きていて長く続く歴史の章の一つによって提供される。 1046年12月2日の皇帝ハインリヒ三世によるスートリ教会会議に始まり、1870年9月20日のヴィットリオ・エマヌエレ王の軍隊によるローマの占領によって終わった一章・・・・(中略)・・・・運命の輪が回転するのに要した八百年以上という期間は、異常な偉業と異常な没落によって占められていた。」/8-p421 [低迷状態から発展へ] 「11世紀の第二四半期頃のローマは・・・・(中略)・・・・その頃のローマ人は、軍事的には軽蔑すべきものであり、社会的には絶えず動揺し、財政的ならびに精神的には破産の状態にあった。 かれらはかれらの隣人のロンバルディア人に対抗できなかったし、国の内外の教皇所領をことごとく失っていた。」1-p570/8-p436 「教皇制を刷新しようとする最初の企ては、ローマ人を除外して、アルプス以遠の国の人々を任命するという形をとって行われた。 このようになさけない状態にあり、外国人が力を得ていたローマに、ヒルデブラントとその後継者たちは、西欧キリスト教世界のもっとも重要な制度を造り出すことに成功した。」1-p571 (iyo )ヒルデブラント:教皇グレゴリウス七世の本名 「教皇制が勝利を得たのは、一つには歴代の教皇がしだいにその範囲を拡げていったキリスト教共和国の構成のおかげであった。それは敵意を呼び起こすどころか、その反対に信頼を起こさせるような構成になっていたからである。」1-p571(8-p439) 「当時教皇は世俗的な勢力の領域に足を踏み入れようとしているとの嫌疑を受けていなかった。」/8-p442 「この時代の教皇庁は領土支配をめぐる競争に関心を持っていなかった。」/8-p442 「政策として真に賢明な、...

「歴史の研究」の予備知識

 「歴史の研究」の内容はとても広範囲ですが、主にこのサイトに必要と思われる説明を書いてみました。 (*注意.ここはシロウトの作文なので、正確でない部分もあると思いますが、ご容赦ください。) トインビーさんは文明の興亡盛衰を中心に歴史を研究されました。 一つの文明は発生してから、成長、衰退、解体の過程を経て消滅しますが、自身が消滅する前に次の文明を宿している場合があります・・・・文明の親子関係です。 例えば、西欧地域に起こった文明を見ると、 (第一世代)紀元前3000年以前にミノス文明が発生(エーゲ諸島で繁栄) (第二世代)前1100年頃にヘレニック文明が発生(ギリシア・ローマ時代) (第三世代)紀元700年頃に西欧文明 第一世代は古くて情報不足なので、第二世代から第三世代への移行部分を例にしますと、 文明は成長が停止して、衰退しはじめると、その進行を食い止めるために、世界国家を形成します。 上記の場合はローマ帝国です。 なぜ世界国家というか・・・・その当時も、ローマ、マケドニア、カルタゴとか、複数の国に分れていましたが、これらを統一したものになるからです。 日本でも、越後とか甲斐とか備前、備後などの国があり、徳川家康が天下統一して世界国家がつくられました(厳密には豊臣秀吉が天下統一) *むかしむかし!・・・・中学校時代の世界史の授業では、ローマ帝国の最盛期を、五賢帝時代・・・・五人の賢い皇帝が帝国を治めた時代(西暦1~2世紀)・・・・と教わりましたが、この時期はトインビーさんの見方では衰退期です(あくまでも文明中心の見方として・・・・帝国の最盛期はこれでいいのかもしれませんが。) 五賢帝時代どころか、ローマ帝国の建国自体が、この文明の衰退を食い止めるために起きた出来事となります。 世界国家については こちら にも。 ただし、諺にもあるごとく「ローマは一日にしてならず」です・・・・世界国家が出来上がる前には、通常「動乱時代」と呼ばれる期間(BC.431~AD.31)があります。 日本で言うなら名前の通り「戦国時代」が該当しますが、それだけでなく室町、鎌倉時代をも含んでいるようです。日本の動乱時代は1185年~1597年とされていますので、その期間は寧ろ世界国家より長くなっています。 中国の場合(シナ文明)でも秦+漢の世界国家の期間よりも動乱時代は長く、BC.6...

世界国家とは

 世界国家とは? 代表的な例:ローマ帝国、中国で言えば漢、日本で言えば徳川幕府など 世界国家というより、日本的に天下国家というのが分かりやすいでしょう。 それまで、越後、甲斐、下野、信濃とか色々な国があったのをまとめて天下統一してできた国です。 厳密には豊臣秀吉から始まっています。 世界国家は、文明の1段階と捉えられています。 日本に適用すれば、紀元500頃から始まった極東文明の1つの段階です。 ローマ帝国は、紀元前1100年頃から始まったヘレニック文明のなかの1段階です。 (極東文明とかヘレニック文明・・・・トインビーさんが命名) 以下、歴史の研究から引用 1.「世界国家は文明の衰退の前ではなくあとに出現し、衰退した文明の社会体に政治的統一を与える。  それはほんものの夏(最盛期)ではなくて、秋をおおい隠し、やがて冬の到来することを告げる『インディアンの夏』(小春日和)である。」2-p333 2.「世界国家は支配的少数者、すなわち、創造力を失ったかつての創造的少数者の制作物である。」2-p333 3.「連続的に情勢悪化-立直りのリズムを何回か繰返し、結局情勢悪化に終わるという形で遂行される解体の過程における一つの立直り・・・・しかも、特にいちじるしい立直り・・・・の現れである。」2-p333 「いったん樹立されると、あくまで執拗に生にしがみつくことが、世界国家のもっとも際立った特徴の一つであるが、それを本当の生命力と思い誤ってはいけない。 それはむしろ、死にそうになっていて、なかなか死のうとしない老人の頑固な長命である。」2-p334 「ただし、世界国家自体の市民の目を通して眺めると、それらの市民が単にかれらの地上的な国家が永久に存続することを願うばかりでなく、この人間の制度が不死を保証されていると実際に信じている・・・・(中略)・・・・ことを発見する。」2-p335 ローマ帝国にしろ徳川幕府にしろ、文明のなかでは最も平和で安定し、華やかもに見えますが、実はもはや成長することのできない衰退(あるいは衰退を開始)した姿です。 徳川幕府が武家諸法度とか参勤交代など、規則・法律を作ることができたのは、既にその文明が成長を殆ど止めて、管理しやすくなったためです。(私は、この武家諸法度というもの・・・・その中身のことは一切知りません(無責任!)) ただし、ローマ帝国...

神様のルーツ(ねたむ神ヤーウェ)

 歴史の研究の中でも「唯一のまことの神」ということを強調しておられるように、トインビーさんは多神教の信者ではないと思いますが、やがて「唯一のまことの神」となるヤーウェについて興味深い見方をしています。 (*完訳版では「ヤハウェー」、縮刷版では「ヤーウェ」となっているようです) 「『唯一のまことの神』の存在と性質が人類に顕示された神は、・・・・(中略)・・・・アカイメネス朝皇帝の支配に服していた、取るに足りない小民族ユダヤ人の神ヤハウェーであった。」/11-p270 「その選民が初めはアッシリア人の足下に踏みにじられ、その後、アカイメネス朝によって扶け起こされたヤハウェーは、ユダヤ教の神であるばかりでなく、キリスト教とイスラム教の神に発達した。」/11-p271 「アラビア西北部のある火山に住み、それを活動させる霊魔(jinn)として、はじめてイスラエル民族の視界に現れたという説が信ずべきものであるとすれば、その起源から言って、文字どおり『土地に帰属せしめられた』地方神である。 その点はともかくとしてかれは、紀元前十四世紀に、エジプト『新帝国』の領土であったパレスチナに侵入した蛮族戦闘団体の守護神として、エフライムおよびユダヤの山岳地帯にもちこまれたのちに、特定の地方の土と、特定の地方共同体の人びとの心のなかに根をおろした神である。 他方においてヤーウェはかれの崇拝者に対する第一のいましめとして、『あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない』出エジプト記20/3 と命ずる『ねたむ神』である。」2-p237 「驚くべきことは・・・・(中略)・・・・地方神であった神がより広大な世界に乗り出し、隣接地域の地方神と同じように、すべての人間の尊崇を得ようという大望を抱くようになってからも相変わらずヤーウェが、自分のほうから進んで争いをしかける競争相手の神々に対して、一向に不寛容の態度を改めようとしなかったことである。」2-237 アモン=ラーや、マルドゥク=ベルなど、「多くの競争者に比べて明らかに劣っているように思われる、野蛮で地方的なヤハウェー」 /11-p275 が、勝ち残ったのは何故か? 「・・・・われわれは上に、偏在性と唯一性という性質について論じた。 しかしこれらの神的性質は、確かに崇高なものではあるけれども、要するに人間の頭によって考え出された結...

創造性のネメシス

 ネメシスは、ここではむくいとか、神の憤りと罰というような意味  人間が神に働く無礼に対する、神の憤りと罰の擬人化(ギリシア神話の女神) 「文明の歴史において、同一の少数者が、二つもしくはそれ以上の、あいついで現れる挑戦に対して、創造的な応戦を行うことは稀のように思われる。 実際、一つの挑戦の処理によって名を挙げたものは、次の挑戦の処理にまんまと失敗することが多い。」 1-p504 例1.聖書からイエス様が誕生する前後のパリサイ人、律法学者 当時はローマ帝国の建国の時期でした。 ヘレニズム化の波が押し寄せるイスラエルで、ユダヤ民族の英雄的な反抗の先頭に立って頭角を現し、指導的立場についたのがパリサイ人、律法学者でした。 しかし、その2~3世代後に起こったメシヤの降臨という、より重大な事態に対しては彼らは反対の立場にまわってしまい、メシヤを受け入れたのは取税人や遊女でした。(1-p504)(/8-p4) パリサイ人たちも、その成長期においては、とても魅力的な集団だったようです・・・・紀元前100年前後くらいでしょうか(?) 「パリサイ人が終局に於いて勝利を得た理由は何であったろうか。 第一に、パリサイ人はバビロン幽囚後の時代にユダヤ教徒が置かれていた状況のなかで、彼らの要求に応え、そして彼らの手の届く創造的な目的を持っていた。・・・・ 第二に、パリサイ人はこの目的を行動に移すための方法を持っていた。 第三に、彼らは目的に向かってひたむきであった、彼らはその目的に対して献身的で、彼らの方針に従ってこの目的を実行するためにたゆまず努力した。パリサイ主義がユダヤ民族の帰依を得たのは、この目的に内在する精神的な価値のためであり、またパリサイ人が自ら説くことを誠実に実行したからでああった。」/23-p938 「パリサイ人の成功の、第二義的ではあるが、もう一つの理由は、その平和主義であった。彼らの政治的要求は消極的で控え目であった」/23-p939 例2.使徒パウロのアテネ伝道(使徒行伝17章16節) パウロは当時のアテネのアカデミックな雰囲気を感じ取り、聴衆に受け入れやすい特別な配慮をもって語り、最善を尽くしたのですが、実り少なく終わったようで、その後パウロはコリントへ向かいます。 これも「アテネはヘラスの教育である」と自負していた過去の栄光が妨げとなって、聞く耳を持た...

神の国をつくる

 「教会の将来の見込み」/15-p218  という見出し付近から、「神の国」の作り方(というかでき方)が書かれています。 重箱の隅をつつくようにして、史実の掘り起こしをするタイプの研究者からみれば、「こいつは一体何をやってるんだ?」「これが歴史の研究?」と思われそうな部分です。 「この必要であり、しかも危ういほど思弁的な探求に乗出すにあたって・・・・」/15-p218 と著者も言っている通り、経験主義者としての常套手段も思うように行使出来ない部分も多く、説明しにくいところでしょう。 私にとっても「歴史の研究」は、文明の発生、成長、挫折、解体と読み進めて行くと(2022年現在まだ読みきれていませんが)、非常に有益な情報が沢山得られる宝の山ですが、ここ神様の登場に到ると反旗を翻す人も多いだろうと思います。 「回心」とか「聖者」といった言葉も出てきます。 それぞれの言葉の定義なども(これまで読んだ限りでは)特に書かれていないようです。・・・・トインビーさんは、もともと厳密・厳格に言葉を定義して使用するタイプではなさそう(?)  (ちなみに私も定義しないほうに賛成です!) 実際、この著作には多くの批評がありますが、これは歴史の研究ではなくて一人の人間の巡礼の旅路の記録すなわち一種の人間喜劇と言う評価もあります。 話をもとに戻します。 幾つかポイントとなりそうな部分をまとめて抜き出しますと、 [人間の問題点]--- 「不和は人間生活に深く根をおろしている。というのは、人間はこの世の中で人間が出会わなければならないあらゆるもののうちで、最も扱いにくいものであるからである」/15-p220 「人間は社会的動物であると同時に、自由意思を賦与された動物である。 この二つの要素が結びついているということはつまり、人間だけを成員として成り立っている社会では、始終意志の衝突が起こり、人間が回心の奇跡を経験しないかぎり、この衝突は人類の自滅という極端な場合に立ち到るということを意味する」2-p490 ・・・・ここでの「人間だけ」という言葉は、神様を含めないという意味を意識していると思います。 完訳版では、「回心の奇跡を経験」のところは、「改宗が必要である」と、かなり平面的に訳しています。 「人間の意識的自我は、驚くべき精神的進歩を達成する神の選ばれた器として役立つことができ...

参考文献、引用表記

 多くは「歴史の研究」からの引用となっており、以下の2つを使用しています。 縮刷版:社会思想社 歴史の研究(サマヴェル縮刷版全3巻)昭和50年11月30日発行 完訳版:経済往来社 歴史の研究(全25巻)    1969年~1972年発行 縮刷版の場合は、巻数-pページ数 とし、完訳版の場合は、/巻数-pページ数 とします。 例 縮刷版第2巻123ページ  : 2-p123   完訳版第15巻123ページ : /15-p123 ここで引用ではなく、参考箇所の場合は、カッコでくくります。 例 (2-p123) 両方とも表示する場合は、2-p123(/15-p123)などとします。 その他の参考文献 「未来を生きる」は  「未来を生きる トインビーとの対話」 毎日新聞社  (1971年4月10発行)  著者 アーノルド・J・トインビー、若泉 敬  訳者 毎日新聞社外信部 「一歴史家の宗教観」は   「一歴史家の宗教観」 社会思想社 昭和34年11月15日発行    著者 アーノルド・J・トインビー   訳者 深瀬基寛 「試練に立つ文明」は  「試練に立つ文明」 社会思想社 昭和42年09月05日発行  著者 アーノルド・J・トインビー  訳者 深瀬基寛 「歴史の教訓」は、  「歴史の教訓」 株式会社岩波書店 1957年5月23日 第一刷発行  著者 A.J.トインビー   松本重治編訳 「現代が受けている挑戦」は、  「現代が受けている挑戦」 株式会社新潮社 平成13年12月1日発行  著者 A.J.トインビー  吉田健一訳 「現代論集」は、  「トインビー著作集6 現代論集」社会思想社 昭和42年11月5日発行  著者 A.J.トインビー  吉田健一訳 「世界史(下)」は 世界史(下) ウィリアム・H・マクニール  訳者 増田義郎、佐々木昭夫 発行所 中央公論社(中公文庫) 2012年2月5日 8刷発行